『ノマドランド』
『ノマドランド』(ネタばれ注意)
どうしても行きたくて一年ぶりに映画館に行ってしまった。
話題の映画をこの眼で観たくて。
アメリカ西部のノマド(遊牧民)生活者のロードムービーという知識だけ持って。
ノマドワーカーというと日本では格好よい響きがあるが……。
この映画では……優雅さの欠片もない究極のミニマルライフ。それを自ら進んで選んだ訳ではない。そうなってしまった女性の話。
企業の倒産で職と住居を失い、キャンピングカーでの生活を余儀なくされたファーン。
夫も病気で亡くしている。
音楽や風景が彼女の心のうちを描いている。
物悲しい曲、暗く重い曲、心がのびやかになる曲。
どこまでも砂漠。どこまでも道路。絶壁に波がぶつかる海。日本にはない風景が広がるアメリカ。
路上を車で彷徨い、職場も渡り歩くファーン。
娯楽ではなくキャンピングカーでの生活がそのまま日常であったら……。
ファーンは夫と、その夫との生活を愛し過ぎて、他の人との関係を深めようとはしない。
自分一人で生きていく厳しさ。あまりに人との関係が近くなりすぎると居心地が悪いのか、キャンピングカーの仲間と居るときも心を開いているようで、一線を越さずにその関係にもわざと距離を置いているように見える。近づきすぎると一人になった時の寂しさが余計身に応えるとでも言うのか。
実は姉がいて、しばらく疎遠であったようで、しばらく振りに姉の家にいさせてもらうがそこでも疎外感を感じてしまう。
気になる男性の家に招かれても、そこの家族との団欒でどこか疎外感を覚えてしまう。
荒々しい自然の中で一人でいるときのほうが生き生きして見えた。
一人で生きていく覚悟を厳しい環境の中で身に刻みこもうとしているかのよう。
それでも過去の家をもう一度 訪ねて、貸倉庫の夫の物も処分して、過去の思い出と決別し、これから新しい自分の人生に一歩進もうとしているのか。
頑なに「一緒に住もう」と言ってくれる人(姉や男性)を拒んでいたが、今度はその言葉を素直に受け止めようとしているのか。
エンドロールを見ていると、役の名前と本当の名前が一緒であることに気づいた。
本当に遊牧民的生活をしている人が出演しているということであることは知らなかった。アメリカでは趣味ではなく、そのような生活をしているということなのであろうか。それも高齢者ばかりだった。
私は無性に家、家族のことが恋しくなってしまった。
人は生きていく上で家族の型は移り変わり、一緒のときはほんの一瞬で、死ぬときは一人。誰でも死ぬときは一人。儚い人生だからこそ自分の人生で出会った人との関係を大切にしたい。
そういうことを考えてしまった。