貧乏旅行のはずが豪華スイートルームに泊まった最終日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

”Pardon?” 

この旅で何度このフレーズを使ったことだろう……。
あれはニュージーランド一人旅の最終便に乗る前に
一応航空会社にリコンファーム(予約再確認)を電話でした時のことだった。
乗る予定の便はユナイテッド航空
格安チケットのためハワイ経由で
日本に帰る便であった。

どうも電話ではその便の調子が悪いので
飛行が遅れる……ということらしい。

えっ~どうしよう!!!!
私はパニックに陥った。

大学の卒業旅行で拙い英語しか喋れない初めての海外一人旅である。

 

◇◇◇◇◇

その頃卒業旅行は海外に行くのが流行りだしたころだったと思う。
私は何でもチャレンジしてみたかったので
海外一人旅をしてみることにした。
行き先は日本の次に治安が良いというニュージーランド

とにかく安く行きたかったので宿が1泊付きのみで
行きはオーストラリア経由、帰りはハワイ経由の格安チケットを手配した。

現地で宿は何とかなるだろうと楽観的に行ってみた。
英語はあまり出来ないので
身振り手振りで観光案内所で次の宿を予約してもらったり
行き当たりばったりで宿を決めたり……。

 

スマホもインターネットもない時代で
片手に『地球の歩き方』を握りしめていた。


予定は何も決めずに
その日に決めていた。
気に入った場所には連泊したり。
海岸沿いで、朝夜出没するというペンギンを宿から1時間も歩いて見に行ったり
初めて乗馬をして山を散策したり。
初めて山からパラグライダーをしてみたり。
運動音痴な私にとって何もかも挑戦だった。
よく怪我をしなかったものだ……。

サイクリングしているときに羊の群れに近づくと
羊がばーっっと逃げていく光景とか思い出す。

着替えも最小限だったので
洗濯をして乾かなかった衣類を
公園で干していたこともあった。

 

安宿を転々として
のんびり過ごした3週間だった。

 

◇◇◇◇◇

 

しかし、その最終日にこんなことになるなんて!

 

とにかく私はオークランドの飛行場に向かった。

そこで待つこと何時間だったろうか……そこまでは記憶がない。
何とか飛行機が離陸して今度はハワイに到着。
そこでも大分待たされた。
そこでは知らない者同士の日本人が固まっていた。
中年のおじさんと
中指突き立てて生きているような派手な青年と(どんな青年?)
普通の若者と(記憶にあまりない)
小学生みたいに小柄なリュック背負った私と
もう一人地味目な女性。
皆おろおろとしていた。
またここで長時間待たされるのか……と。

が、そこは年の功。
中年のおじさんが
ダメ元で飛行機会社の人に
「デラックスな部屋を用意してよ」とか何とか交渉してみた。
すると……、何と皆ハイアットリージェンシーに泊まれることになった。
何でも言ってみるものである。
それも1人1部屋、何とスイートルームにである。

そんなデラックスな部屋に泊まったのは
後にも先にも
その時のただ1泊のみである。

 

ハイアットリージェンシーのホテルに行くときも
素敵な車に乗って
松明(たいまつ)が両脇に焚かれている道を通って
ゴージャスなホテルに着いた。

 

部屋は広々としたスイートルームで、
バスルームも素敵だったと思う。

夜も1食付けてくれて
ビッフェ形式で豪華な夕飯を頂いた。

有頂天な私たちは夜遅くまで話し込んでいて
お互いの部屋にさようならして
翌朝、ロビーで集合しましょう、ということになった。

 

私はキングサイズのベッドの上に
リュックの中身をぶちまけて
大の字になって
スヤスヤと夢の中へ……。

 

朝……ホテルの電話で起こされた。
……集合時間に遅刻した私は
慌てててベッドの上の荷物をかき集めて
顔も洗うのも適当に
ロビーに走りこんだ。
ここでも遅刻して
今度の便に乗り遅れたら大変なことになる!!
と焦った最終日なのだった。

 

あの貧乏旅行も最終日もまとめて
私の宝物の思い出である。

f:id:katatumuko:20210801230340j:plain