理想の学校って何だろう

新聞記事に鳥取の学校が取り上げられていた。

その学校は授業も、テストも、学級もないそうだ。
「新田(しんでん)サドベリースクール」といい、アメリカにある学校をモデルに、子どもの自由と自主性を尊重する学びの場として2014年に開校したという。
子どもたちがやりたいことを重視し、ユニークな取り組みをしているらしい。

「大切にしているのは子どもの力を100%信頼すること。大人は子どもが自ら学ぼうとする力を信じて見守るだけ」
という言葉にとても惹きつけられる。

私は幼いころ、とても警戒心が強かった。

小学校1年生になって初めて学校に行くとき、とても怖かった。
学校の先生ってどんな人なのだろう、友達できるかな……とか……。
毎日、緊張しながら学校に行っていた。
先生の質問の意味がよくわからないこともあった。
周りの状況を把握するのに時間がかかり、呑み込みが遅かった。
この場は何をするんだろう……と考えたり、周りと違うことをしてしまうのではないかという恐れが強かったので全然自分を出せなかった。

大人しい私はいじめられることがあったけど
言い返すことは出来なかった。

いじめられたとしてもその頃の私には
学校に行かない……という考えは起きなかった。
どんな思いをしても学校は行くもの……という考えにがんじがらめになっていたのだと思う。


先生にそれを言うことも出来なかった。
先生に何か言ってもどうかなるとも思えなかったから。
先生を信頼していなかったからだろう。

今でも忘れられない先生の言葉がある。
「〇〇さんって、笑うんだね」
この言葉を今でも覚えているくらいに、傷ついた。
いくら大人しい子どもだとしても、頭や心の中では色々な思いが渦巻いている。
それを外に表現するのが難しいだけなのだ。

私はそのころ授業を聴くことは好きだったので先生の話をじっと聞いている子どもだった。
クラスでは大人しくて目立たない存在。
そんな私でも徐々に友達が出来て楽しくなってきた時期。
クラスではいつも落ち着きがなくて、でもスポーツが出来て、目立つ男の子たちがいた。
先生はその子たちのことが気になって可愛く思っているのだろう。
そのことが私にはよく見えていた。

クラスで目立っている子の方が先生の心にも強く残っているのだろうな……と寂しく思った次第。

勉強がちょっと出来たとしても、先生の目に留まるのは一瞬のこと。
後々まで記憶に残るのは、目立って活発だった生徒のことなのだろうな、と思う。

 

話は戻って、鳥取の学校。

暗記中心でなく、上から押さえつけられずに、型にはまっていない学校。

そういう学校に行ったら私はどうなっただろうか。
全部が自由だからと言って、そこに馴染めるかどうかは又別な話。

でも、子どもたちを信頼しているスタッフや仲間たちと話し合いながら学びの場を過ごすというのがとても興味深く思われる。

その子がそれぞれの個性で認められて居場所がある学校……。

この学校の様子が『屋根の上に吹く風は』というドキュメンタリー映画になって上映される。
是非観てみたいものだ。