じいちゃんの思い出

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

じいちゃんはいつも手を動かしている人だった。

 

自転車がパンクしたら
パンク修理用の道具を納屋から出してきて
チューブをタイヤから抜き出して丁寧に
水を張った桶に浸して
パンクの個所を調べていた。
それからゴムを小さく切って
やすりで研いでチューブに貼っていく。
それからタイヤにはめて、空気を入れていく。
タイヤが膨らんできたときは本当に感動する。
それを脇でじーっと見ていた私。

 

納屋にはくぎや
木の切れ端が沢山あって
何かちょこっとした棚とかも
すぐ作ってくれた。
家の修繕も大抵のことは
じいちゃんが一手に引き受けていた。
引き受けすぎていつの日か
屋根から落ちたときは
びっくりしたこともあった……。

 

台所に立つと
昔コックだったじいちゃんは
器用に色々な洋食メニューを作ってくれた。

 

鉄のフライパンに油を丁寧に敷いて
少しフライパンを温める。
そして卵を4、5個かきまぜたものを
じゅわっっとフライパンに落として
フライパンを器用に動かして
卵をひっくり返してオムレツが出来上がる。
それを脇でじーっと見ていた私。

 

それから豚肉の塊を
ひき肉を作る機械に入れて
ぐるぐる回してミンチができ、
それを茹でたじゃがいも、炒めた玉ねぎと混ぜて
手のひらサイズのでかいコロッケの素を作っていく。
あのコロッケは弟たちと競争して何個でも食べられた。

 

味噌汁の出汁を取るときは
鰹節を削り器で
その都度丁寧にひく。
ひきたてはそれをご飯の上に乗せて醤油をかけるだけで
とても美味しかった。

 

そして夫も大絶賛していたスープ
鶏ガラで丁寧に出汁を取り、
豚バラ肉とじゃがいも、人参、玉ねぎの具が入った
寸動鍋にたっぷりと作ったスープ。
夫はそのスープを何杯もお代わりしていた……。

 

手羽の唐揚げは……。

大昔は鶏も家で飼っていて
それを自分で絞めて羽をむしり、
大窯で茹でていた。
それを脇でじーっと見ていた私……。
いつの頃からか鶏を飼わなくなって
肉屋で調達するようになったが……。

お正月やお盆で親戚が集まるときに
前日から大量に仕入れて
生姜と酒、醬油に付けておいて
当日の朝、片栗粉をたっぷりつけて
庭に据えた大窯で揚げていった。
火が強烈でその傍にいた私はすごい熱かった。
出来たても冷めても美味しくて
皆に大人気の唐揚げで
お土産にも引く手あまただった。

 

じいちゃんは
人の顔をじーっと見ているだけで
口数も少なく
愛想があるわけでもない人だったけど

自分の得意なところを活かして
時間と手間をたっぷりかけた料理や
物を大切にすることや
生活の知恵をその背中で
私に見せてくれた人だったなと強烈に記憶に残されている。