二人の父の間で
私には認知症になった父がいる。
父と一緒に暮らしたことはない。
父と初めて会ったのは叔母が死んだお葬式である。
初めて父に会った時の印象……。
随分つやつやの顔をしているな。
私の父とは大違い。
私の父は弟のくせに煙草を吸い過ぎているせいか
艶がなく、皺も多かったせいで兄よりも老けて見えた。
……今の私の父とは……
伯父(父の兄)だったのである。
実父と間違うので以下「伯父」と言う。
その後、私の実父は仕事のし過ぎ?
又は煙草の吸い過ぎのせいか……
私が中学1年生の時の秋の朝、突然亡くなった。
あれは忘れもしない学校に普通に通っていた時……。
担任の先生が顔色を真っ青にして
「○○(私の苗字)、お父さんが亡くなったぞ」
と休み時間に私を呼びにきた。
……えっ……。
私はその場で固まってしまった……。
朝は父と顔を合わせずに学校に来たのである。
頭が真っ白になってしまった……。
先生が車で家まで送ってくれた。
その時の先生は私にとても気を使ってくれて
アイスを買ってくれた。
なんでこんな時にアイス……と私は思ったけれど、
先生の厚意を無駄にしたくなくて
車の中で無理やりアイスを口に入れた。
涙を流しながらモソモソと食べた。
家に帰ると
和室で父が布団の上で頭に白い布を被って寝ていた
ように見えた……。
信じられなかった。
昨日まで普通に生きていた人が簡単に死んでしまうことが。
……かといって今の娘と夫が喋っているように気安く喋った覚えはない。
父はいつも子どもと普通の会話をするのが苦手みたいだった。
あまり楽しいお喋りをした記憶がない。
綺麗好きで厳しくて
玄関で靴が脱ぎ散らかしてあると
子どもの頭を殴るような怖い父であった。
(そういう風に育てられてもちっとも整理整頓は身につかない)
母が言うに
「○○(私の名前)が生まれたときは
可愛くて会社のお昼休みに帰ってきてお風呂に入れてたよ」
……と。
確かに夜、皆が寝静まっているとき、
布団から肩が出ていたら布団をそっと肩まで掛けてくれたのは
よく覚えている。
子どもに愛情はあっても
口下手で不器用な性格であったのだろう。
あまり父とは会話もなかったので
本当はどんなことを考えていたのかわからない。
その後は父という存在がいたら
どんな生活だったのだろうかと考えることもある。
中学校では皆に父の死も知られてしまったので
何か暗い子として生活してしまった。
それが高校、大学に行くにつれ
楽しくのびのびと生活できたのは、
母や祖父母のおかげであろう。
父の死から
母は何かと伯父に相談することがあり
急速に二人は近づいていったみたいだ。
その後子どものために籍だけでも「父」という存在が
あったほうがいいだろうということで
伯父と私たち子どもは養子縁組をした。
母と伯父は結婚したわけだが
一緒に暮らすことにはならなかった。
母は子どもと祖父母を置いていけなかったし、
伯父が実家に帰ることもなかった。
伯父と実の親(私から見ると祖父母)の折り合いが悪かったからだ。
実父が亡くなったとき
弟はまだ小学生だった。
どんなにショックだっただろう。
その後母と伯父が結婚した時には
丁度中学生で思春期真っ只中であった弟は
母と伯父を汚れたものであるように軽蔑していた。
その軽蔑していた伯父の世話を
弟が今している……。
……そんなこんなで実父とは12年しか生活していなかったのに
伯父が戸籍上の「父」となってからのほうが随分と長い年月となった。